新型コロナウイルスの影響が少し出始めた時期ではありましたが、年初の大変お忙しい本田町長はじめ多くの来賓をお迎えし、にぎやかに総会を開催いたしました。
今年も、総会をスタートに有意義な1年となる活動としてまいりますので皆さんのご協力をお願いします。
総会は、恒例の出し物である会員による日本舞踊、プロのギター演奏を携えジャズ披露と津軽三味線の演奏で会場を盛り上げていただきました。トマト、ちりめん、カレイもなかなど日出町の代表的な産品が瞬く間に完売することができました。皆さんのふるさと日出町を思う気持ちの表れであろうと感じています。皆さんの協力に感謝です。
右の写真は恒例の出し物の一つ「日本舞踊」(会員による)が披露されました。
令和2年度予定
2月:広報ひじ1・2月号送付
3月:役員会
4月:春の親睦行事、大分県人会総・懇親会案内、広報ひじ3・4月号送付
5月:在京大分県人会総会・懇親会
6月:広報ひじ5・6月号送付
7月:役員会
8月:広報ひじ7・8月号送付
9月:秋の親睦行事案内
10月:在京大分県人大集合,
秋の親睦行事、広報ひじ9・10月号送付、役員会
12月:新年度総会案内、広報ひじ11・12月号送付
1月:令和3年度総会、役員会
今までにない寒さの中、当日は皆さんの出席を歓迎する好天に恵まれました。
お忙しい中、遠路日出町より本田町長はじめ多くの来賓をお迎えし、にぎやかに総会を開催いたしました。
昨年10月は在京大分県人会として一大イベントである創立90周年の記念事業を行いましたが、当会からも30名を超える出席できましたことは、会員皆さんのご協力のたまものと感謝しています。
今年も、総会をスタートに有意義な1年となる活動としてまいりますので皆さんのご協力をお願いします。
総会は、恒例の出し物である会員による日本舞踊、プロのギター演奏を携えジャズ披露と津軽三味線の演奏で会場を盛り上げていただきました。
トマト、ちりめん、カレイもなかなど日出町の代表的な産品が瞬く間に完売することができました。皆さんのふるさと日出町を思う気持ちの表れであろうと感じています。皆さんの協力に感謝です。
降雪の残る寒い日であったが、好天に恵まれた動きやすい日に、遠路日出町より
本田町長はじめ多くの来賓をお迎えし、にぎやかに総会を開催いたしました。
本年度は会員の皆さんはじめ日出総合高校卒業生等のご協力により、在京日出会と
しては最も多くの参加者数となり、感謝!感謝!です。
恒例の出し物ではプロのギター演奏で会員ジャズの披露、また名取りによる日本舞踊の披露や津軽三味線の演奏で会場を盛り上げていただきました。
日出町の産品 ~ちりめん、手作り、カレイもなか、トマトなど~ 多くはありませんでしたが
直売すると瞬く間に完売できたこと。皆さんがふるさとを思う気持ちが購入にあらわれたではないでしょうか?
今年は大分県人会が設立されて90年となります。秋には記念行事が計画されており、多くの方の参加を期待しています。皆さんの積極的なご参加・ご協力をお願いします。
2月:広報ひじ1・2月号送付
3月:役員会
4月:春の親睦行事
大分県人会総会・懇親会案内、広報ひじ3・4月号送付
5月:(20日)大分県人会総会・懇親会
6月:広報ひじ5・6月号送付
7月:役員会
8月:広報ひじ7・8月号送付
9月:秋の親睦行事案内
10月:(27日)大分県人会創立90周年記念式典
秋の親睦行事、広報ひじ9・10月号送付、役員会
12月:新年度総会案内、広報ひじ11・12月号送付
1月:平成31年度総会、役員会
今回は、神代植物公園・深大寺見学と何といっても名物の「深大寺そば」を楽しんだ。
JR三鷹駅と京王線調布駅からバスで神代植物公園に集合。
あいにくの雨で、天候には恵まれなかったが公園ガイドのバラについて説明を受けながら
ゆったりした園内見学となった。
神代植物公園は、東京の街路樹などを育てるための苗圃だったが、戦後、神代緑地として
公開されたあと、昭和36年に神代植物公園として開園されました。
・開園年月日:昭和36年10月20日、面積:489.7千平方メートル
・主な植物:サクラ、ウメ、ツバキ、ハナモモ、ハナミズキ、バラ、ツツジ、ボタン、スイレン、ハギ、ベゴニア、イヌシデ、コナラ、ケヤキ など。
この公園のシンボルの一つであるつつじの大群植と周囲から見下ろせるよう低く設けた沈床花壇のバラ園と珍しい熱帯植物を集めた大温室と通年にわたって鮮やかな花々が鑑賞できます。
今回鑑賞したバラ園を少し紹介しよう。
バラは5,000年以上前から地球上の存在されていたとされ、野生種は北半球にのみ分布し、150種ほどあるとされており、現在は世界中で最も愛されている花の一つで、2万以上の品種があるともされている(パンフレットより)。
庭園はシンメトリックに設計された沈床式に植えられた400品種5,200株のばらが植栽されている。花期は年2回。春は5月下旬頃が盛りで、秋は10月中旬からです。
2009年の世界バラ会議で優秀庭園賞を受賞したバラ園には、殿堂入りした代表的なバラ、巨大輪のバラ、真紅・純白・黄色のバラ、複色・覆輪のばら、房咲きのバラ、つるバラなど、また香りのよいバラなど多数が植栽されている。
バラ園以外の見どころは、正門付近から池の周辺に植えられたツツジの大群植。この公園のシンボルの一つで、280品種、12,000株という規模は他に例のないものです。
水生植物園は、昭和60年6月、新たに開園した無料区域に隣接して平成9年6月に新たに
約1.8haを追加開園しました。園内の一部は「東京都指定史跡深大寺城跡」となっています。深大寺の裏山から湧き出た水が集まって湿地帯になっていたところに、木道などを整備したもの。また、熱帯の花木室、熱帯スイレン室、ベゴニア室などの温室があり、平成28年5月に、約1300品種を有する大温室にリニューアルオープンしました。
楽しみな昼食会。予約時間の制約から深大寺を参詣する前に昼食することになった。
「深大寺そば」の由来は、そば種は八世紀頃原産地である北方大陸から朝鮮半島を
経由して我が国に伝わりました。我が国のそば作りは、武蔵野台地を開拓した高麗帰化人によって栽培され広がったと言われています。深大寺そばが有名になったのは元禄年間、天台宗関東総本山東叡山寛永寺御門主第五世公弁法親王に蕎麦切りを献上して賞賛を得てからと言われています。
その後一般庶民に伝わり武蔵野を散策する文人墨人客に愛され、江戸後期から、明治、大正、昭和へとその伝統が継承されていきました。このように江戸初期より三百五十年余の長い歴史と伝統を持つ深大寺そばは、郷土名物として名声を広めています。
昼食後、深大寺を参拝。深大寺は調布市深大寺元町にある天台宗別格本山の仏教寺院である。日本三大だるま市の1つ「深大寺だるま市」で知られている。
在京県人会総会・懇親会が5月20日、品川駅に近いホテルで約300名の会員並びに家族の出席でにぎやかに催された。当日の総会では新会長・新役員の選出が承認、来年の90周年に向け活動することになった。懇親会では、景品大抽選会、日田市出身の舞踏家梅川壱ノ介氏による日本舞踊の披露やふるさと大分をPRするタイムなどで大いに盛り上がった。
今回は日出町から本田新町長が来賓で出席され、出席者と本田町長を囲んで記念撮影や地元の話題で盛り上がりました。来年のサザンカの会総会でお会いできるのを楽しみにしています。なお、皆さんの協力で多くの出席となったことに対し県人会から感謝の言葉をいただきました。今後とも大分県、日出町の活性化に少しでもお役に立つよう皆さんと協力しながら活動していくことが必要です。県人会もサザンカの会も共通の課題(会員の増)です。
本年度最初の行事は「湯島から谷中銀座を経て日暮里」へ、葉桜の時期の雲の多い日に15名の参加を得て楽しんだ。
地下鉄湯島駅集合後、三菱の創始者岩崎弥太郎の長男・久弥が建てた岩崎家の本家「旧岩崎庭園」を見学した。この庭園はかって15,000坪を超える広さに20棟以上の建物があったというが、今は洋館、和館、撞球室(ビリヤード室)のみである。受付の真向かいに「袖塀の重ね三階菱」の説明ボードに岩崎家の家紋である「重ね三階菱」の意匠が三菱の社章の基となったことを知ることができる。
この時期は根津神社境内ではつつじ祭りが「つつじ苑」で催されており、100種・3,000株のつつじはまだ三分咲きの見ごろであった。赤や白など色とりどりのつつじが満開の時期は迫力ある一面を想像すると再度来たいものだ。それでも多くの見学者がつつじにカメラを向け思い思いのポーズで写真撮影に興じている人が多かった。
根津神社は楼門や拝殿など複数の建物が国の重要文化財に指定されており、東京十社の一つになっている。
文京区から台東区一帯の谷中・根津・千駄木周辺を指す「谷根千」は、古き良き時代を懐かしさを感じられる場所で多くの方に人気の場所である。東京の下町風情が残る谷中銀座商店街は「夕やけだんだん」と呼ばれる夕日の名所の眼下に広がっている。歩きながら名物のコロッケを頬ばって昔を懐かしんでいるようだ。日頃の悩みなど吹っ飛ぶ一瞬です。皆さんも一度体験されてはいかがでしょうか?(商店街は個人商店を中心に、様々な業種の70店舗が200mほどの通りに立ち並んでいる) 時間の関係で立ち寄ることができなかったが「観音寺の築地塀」「旧吉田商店「日暮里繊維街」などの見どころも多く、また、坂の多い地でもある。団子坂、汐見坂、千駄木坂、七面坂の上は「元根津」と言われ、根津神社が旧地であったという。
平成29年度の総会・懇親会を九段下の「ホテルグランドパレス」で開催されました。
今回は本田日出町長が所用で欠席のため、今宮副町長、藤原商工観光課長を遠路日出より、在京関係では佐藤在京大分県人会長、神奈川大分県人会、在京杵築市人会、在京山香会、関東くす・ここのえ会の皆さまのご参加いただき、にぎやかに開催することができました。
今回は予想以上の多くの参加者で急遽、大会場へ変更するうれしい出来事の総会となりました。
お楽しみ会は、豪華景品が当たる抽選会、会員によるジャズの披露と澤田社中による津軽三味線で大いに盛り上げていただき、にぎやかな総会となりました。また、昨年同様、日出町産の名品による物産展を開催、多くの方々に購入いただき感謝しています。日出藩主第19代木下崇俊様から最近の話題を提供していただき、日出町の知名度アップになくてはならないことを再認識することができました。
なお、本年度の活動方針は、
①当会の知名度アップ
②新会員の参加 を柱に活動していくことが承認されました。
会員の皆さまのご協力ご支援をよろしくお願いします。
今回開催の大分県人大集合は ~おおいた県おおいた復興応援~に向けたもので約200名の参加者と豪華景品抽選会や有名人による催しで大いに盛り上がった。
当日の出し物は一龍齋貞弥氏による講談、地元神楽坂商店街所属のかぐら連による阿波踊り、 高野一重氏のミニコンサートや豪華景品抽選会、県人会花豊会(女性会)による合唱です。一龍齋貞弥氏は、臼杵市野津町出身。実家は吉四六さんの菩提寺の普現寺で声優・講談師、ナレーターとして活躍されています。
高野一重氏は、武蔵野音大声楽科卒業。大分県立芸術緑丘高等学校音楽科2年次に声楽代表の推薦を受ける。NHKテレビの「歌は友だち」やミュージカル「白雪姫と7人の小人」などに出演されており、大分県の幼稚園~小学校で歌を贈りたいと語っています。地元神楽坂商店街所属のかぐら連(80名余り)による阿波踊りが場内を練り歩き会員も一緒になって踊りに興じていた。
行楽シーズンの1日、少し太陽がほしいと感じる天候でしたが高層ビル街から離れた裏新宿(?)を参加者自身が案内しながら日常触れる新宿とは違ったところを楽しんだ。
JR新宿駅東口のスタジオアルタに集合。スマホをガイドにいざ出発。
今回は、スタジオアルタ⇒新宿遊歩道公園”四季の路”⇒思い出横丁⇒花園神社⇒成覚寺⇒正受院⇒新宿御苑⇒水道碑⇒四谷大木戸跡⇒四ッ谷駅のコースである。
スタート地のスタジオアルタはかつて、某デパートが出資していた食料品専門の「二幸食品店」と呼ばれるショッピングセンターを建て替えたもので「笑っていいとも」の収録で知られ、待ち合わせの場所となっている。
「四季の路」は新宿始発の路面電車が廃止となり、都電の引き込み線専用の軌道敷跡に遊歩道ができたもの。モザイク状の石畳の遊歩道が整備され、大きくなった樹木や花々が繁る憩いの場所になっている。
「花園神社」は旧内藤新宿の鎮守で江戸時代以前に勧請した稲荷社で新宿の街の守り神として祀られている。赤い鳥居がなんともいえない雰囲気を醸し出している。近くには神社に因んで花園万頭と名付けた商品を発売し、屋号も花園万頭本舗に改めた本店がある。
この地域には陣が多く見受けられる。内藤新宿の宿場の飯盛女(女郎)たちの共同墓地(成覚寺)や三途の川のほとりで死者の衣類をはぎ取る恐ろしい老婆の像が祀られている正受院や大宗寺がある。
新宿御苑は桜の名所で有名なところ。約10万坪の屋敷地内には庭園に池、築山などが。また、台湾から贈られた中国風の建物「旧御涼亭」が池に映る姿が美しい。
春の県人会総会・懇親会は、広瀬知事をはじめ多数の参加のもと、総会では議案内容の報告・承認と野球殿堂入りした山中正竹氏(バルセロナ五輪代表監督)に対し県賞詞授与式と工藤アナウンサー(NHK、大分市出身)とのトークショーなどがありました。山中氏は小柄ながら東京六大学野球リーグの歴代最多勝記録保持者です。
広瀬知事のあいさつで、2018年に「国民文化祭」と「全国障碍者芸術・文化祭」が大分県で開催され、オープニングステージは佐伯市出身の作家・小野正嗣さんが脚本を担当されます。また、2019年はワールドカップラグビーが大分県で開催の紹介がありました。大きなイベントを通じ大分の魅力を内外にアピールする努力が必要です。
懇親会では、ふるさと大分PRタイム、カクテルパフォーマンスや景品抽選会で楽しみました。あちこちで旧交を温める輪ができており、ふるさとの近況などを話題で盛り上がりました。
当サザンカの会会員は目標とした10名(1卓分)の出席には届きませんでしたが世話人の努力により女性の参加者が多く和やかなテーブルになりました。来年はぜひ10名以上の参加いただき、県人会を盛り上げていきたいものです。総会後は近くの中華料理屋で二次会を楽しみ有意義な一日でした。
満開の桜は見られなかったが、好天に恵まれた絶好のウオーキング日和。今回は中央区の「小伝馬町から人形町」の歴史散歩を計画し13名の会員が楽しんだ。
日比谷線小伝馬町駅に近い「十思公園」に集合。観光ガイドの案内で多くの歴史遺産を訪ねるコース。今回散策した街並みは、小伝馬・大伝馬町→人形町⇔浜町である。
小伝馬町・大伝馬町は、荷物を馬の背に積んで運ぶ伝馬役を務めた人たちが多く住んでいたことから「小伝馬町・大伝馬町」と言われた。人形町は中村座があった庶民の街には多くの人形師が住んでいた。浜町は粋なおねえさんのいる町で明治座のある場所として有名。
今回のコースは、十思公園~小伝馬町牢屋敷跡~椙森神社~堺町・葦屋町芝居町跡~水天宮~甘酒横丁~明治座~浜町公園~玄冶店跡~大観音寺~西郷隆盛邸跡~谷崎潤一郎生誕の地~人形町駅の健脚コースを踏破した。江戸時代の芝居や花街など一世を風靡した下町情緒が残る活力ある街並みを感じた。特に人形町の発展に欠かすことのできない水天宮の新社殿が4月14日に造替完成となり、新しい顔として皆さんに愛され続くことと思います。2年後の平成30年に江戸鎮座200年を迎えるという。
今回のコース中に、日本橋の七福神の一つである「水天宮(学問・芸術の神)」、「椙森神社(商売繁盛の神)」、「笠間稲荷神社(長寿の神)」にそれぞれの願いを込めお参りした。
前夜から雪予報の首都圏でしたが大きな混乱もなく懐かしい方々との再会となった平成28年度の総会を九段下の「ホテルグランドパレス」で執り行われました。今回は工藤日出町長が所用で欠席のため、今宮副町長、藤本総務課参事兼課長補佐を遠路日出より、また、佐藤在京県人会長はじめ関係諸団体の皆様にご参加をいただきにぎやかに開催することができました。今年は会発足5周年の節目の年、日出町産の名品で物産展を開催、また、会員による日本舞踊、ジャズを披露、続いて澤田社中により津軽三味線のミニコンサートで盛り上げていただき、にぎやかな総会となりました。また、日出藩主第19代木下崇俊様から「わが先祖豊臣一族の秘密」(週刊朝日2016.1.22号から4回にわたって掲載)の記事の紹介があり、日出町との縁の深さを改めて確認することができました。
なお、総会において吉武会長が勇退、新会長に佐藤明彦さん(日出出身)が就任されました。
肌寒い曇天の一日であったが「江戸のパワースポット地」白山・駒込を楽しんだ。都営地下鉄白山駅を出発、最初の見学地白山神社、ゴール近くの富士神社は共に女性の神社とのこと。男性も女性のパワーを貰うべく張り切ってスタート。
今回のコースは、白山神社~駒込土物店跡(青果市場)~目赤不動(南谷寺)~吉祥寺~天祖神社~駒込名主屋敷~富士神社~六義園~(昼食)~旧古河庭園。
代表的な施設などを紹介しよう。
白山神社は北陸の山岳信仰の荒行の場である白山を源に、明治43年建立した歴史のある神社で都心の静かな佇まいに位置している。
目赤不動(南谷寺)は、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称や伝説を持つ不動尊の一つ。東京の五色不動は「目黒不動(目黒区)」「目白不動(豊島区)」「目赤不動(文京区)」「目青不動(世田谷区)」と「目黄不動(台東区と江戸川区)」5種6か所の不動尊と言われている。
吉祥寺は、中央線の駅名でおなじみですが、吉祥寺には「吉祥寺」というお寺はない。元々の吉祥寺は現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれ、徳川家康時代に水道橋際へ移転、その後明暦の大火で焼失し現在地に移転。関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」がおかれ多くの学僧が学んだ。大戦でそのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせてくれる。
コース最後の見学は都立文化財庭園の一つである大名庭園「六義園」を味わった。六義園は柳沢吉保が築園した和歌の趣味を基調とした「回遊式築山泉水」の大名庭園(パンフレットより)で、池を中心とした園路を歩けば四季折々の花などで移り変わる景色が楽しめる。多くの外人も見学におとづれていた。この庭園は三菱の創業者岩崎弥太郎の別邸となり、その後東京都に寄付、国の名勝に指定されている。JR駒込駅からも近く、また、65歳以上には入園料の割引もありぜひ見学してほしい庭園。
梅雨の晴れ間となった1日、江戸の大名庭園である「浜離宮」を庭園ガイドの案内で楽しんだ。
JR新橋駅集合、10分ほどの所に位置する「浜離宮」内を散策し水上バスで浅草へ。浅草寺を参拝後昼食会場である駒形の「蕎上人」で名物の蕎麦と少々のアルコールで疲れをいやした。好天が満足感を増幅させた充実の1日でした。
<浜離宮のご紹介>
庭園は400年の激動の時代を乗り越え、訪れる人の心をいやし続けている遺産で都心のオアシスとなっており、汐留の超高層ビル街の谷間に位置する。現代的な超高層ビルが見えるという何ともアンバランス(?)と思えるのだが、外国人はこの風景に魅力を感じるという。外国人の見学者が多く見受けられるのもこの魅力によるものかもしれない。
将軍家の鴨場であったこの地に、4代将軍家綱の弟の松平綱重が屋敷を構え、歴代の将軍によって造園、改修が行われ、11代将軍家斉の時に現在の姿の庭園が完成したと云われています。明治時代になってからは、皇室の離宮となり名前も「浜離宮」とされ戦後は東京都の管理となった (パンフレットより)。
潮入の池、新樋の口山、将軍お上がり場、松の御茶屋、中島の御茶屋、鴨場、三百年の松などの多くの特徴がパンフレットに説明されていますが、今回見学した際に感じた「鴨場」と「松の御茶屋」をご紹介します。
本庭園の池は東京湾から海水を引き込んで造られた潮入りの池で、ボラ、セイゴ、ハゼやウナギなどの海水魚が棲息しているという。庭園内に鴨の猟場として2ケ所の鴨場(庚申堂鴨場と新銭座鴨場)がありますが、10数本の引き堀を設け、小窓から鴨の様子をうかがいながら餌とおとりのアヒルで引き堀におびき寄せ、土手から鷹や網で捕獲するしていたものです。
鴨は騙されやすい、利用しやすい性格のため「鴨にされる」「鴨葱」などの言葉ができたのでしょう。
今年一般開放した「松の御茶屋」は豪華で、こけら葺きの屋根に屋久杉(樹齢1000年以上のものをいう)を使った天井板で建築され、千鳥が彫られた欄間や窓からの眺望もよく、潮入の池、中島の茶屋、池に集まるカモ等をゆったりと眺めることができることを感じた。
1億円を超える巨費で復元された。通常は非公開ですが、木曜日の午後だけ特別に公開されています。午後の夕陽がビルの屋上から照らす様は必見とのこと。
特に11月から2月の午後(13~15時ころ)は水面に反射する光が御茶屋の内部に映り別世界を体験できるという。夕方の太陽の動きをぜひ体験してみてください。
詳細をご覧になりたい方は以下をアクセスください(浜離宮恩賜庭園) 。
URL http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/index028.html
5月16日(土)にホテル椿山荘東京で平成27年度「在京大分県人会総会・懇親会」を広瀬大分県知事、田中大分県議会議長らをお迎えし、200名を超える会員出席の下、盛大に催されました。
また、本年は県人会長の交代で新会長の佐藤会長(由布市出身)から現会員数900名超から1,000名規模に、コンパクトな組織で若い人による活動を目指すことを力強く宣言されました。今後の県人会活動に大いに期待したいものです。
アトラクションとして芹洋子さんによるミニコンサートがあり、若い時分によく歌った懐かしい「坊がつる讃歌」や「山は心のふるさと」などを熱唱していただきました。また、恒例の大抽選会で大いに盛り上がりました。
方言は、自分の出生のルーツを知る道しるべであり、わが先祖の遺産であると「豊後日出藩方言集」の著者本田幸雄氏が述べています。広報ひじ7月号で自費出版を知り、さっそく地元の方の協力により本を入手。本の内容を簡単に紹介しよう。
昨年(平成25年)の元旦から制作を始めた本著は、構想から四半世紀の時を経て実現されたもので、1,111語の方言集である。著書は卆寿記念の贈り物として、土地家屋調査士業60年のキャリアを持つ、地元・業界でご活躍される中で出版にこぎつけたもの。
序説に「方言は、自らの出生のルーツを知る道しるべであり、先祖の遺産である」と述べられています。故郷を離れ、別天地で初めて意識する「ふるさとの訛り」、その地方でのみ通用する土着の用語であると。「方言」に郷愁を感じるのは、他郷での生活経験がある人に限られているわけで、私ども東京を中心に活躍する同郷人と話して感じるなつかしさを増すのに必要なものではないだろうか?
<方言のルーツ>
豊後日出藩の方言のルーツは、豊後水道に連なる瀬戸内で活躍(?)した村上水軍の行動軌跡と関係がありそうと考えている。豊後日出藩の方言は、一般の大分方言と異なり瀬戸内漁民との会話に影響された「瀬戸内方言」であって、方言の伝搬は、海岸部から鹿鳴越の山奥まで浸透していったものと思われると説明している。
~ 県南から日出にかけて、岡山地方に多い御手洗姓、村上姓や平松姓等があり、その祖先は備前備後と言われていることも豊後の海岸部族と瀬戸内水軍の交流を示す証拠であろう。 ~
著作者 本田幸雄
発行所 山香六郷舎(大分県杵築市山香町小武380-1)
発行者 糸原愛徳
発行日 平成26年5月
子供時代に使った言葉を思い出してみよう。方言を文字にすると意味がストレートに伝わらず分かり難いと思うが・・・。
・「そげんなこつが、あらるっかぇ。考えられん、あっちあられンのう。」
・「そげん来ちから、ここじゃあばけんわぇ」
・「遊びに行ってもよいか?」「いいちこ」
・「ちーせー弟を相手に、喧嘩すんな。ええちぃなんな」
・「そげー、もそもそ、しちょっちから、かきー、合わんで」
・「こりが100円ぞ。かながんはあるぞ」
・「何をしちょったんかえ。手がじゅじゅぐりいが」
・「あれと一緒に飲みに行くと、荷をかやすぞ」
・「なし、早う逃げんじゃったんか。ちったぁ レンコンを食え」
真夏の楽しみであった盆踊りで必ず歌って踊った「ひじ音頭」が飲み会の席で話題となった。さっそく日出町に確認したらCDがあった。今年度の総会のBGMとして流したが言葉が全く分からず。ネットで検索すると日出小唄を見つけたのでご紹介します。記憶にある盆踊り唄の歌詞でしょうか?
(日出小唄)
日出はよいとこ日の出を受けて お城下まで船がつく
日出はよいとこ深江を抱いて 浮津枕に寝た姿
浮きつ浮かれつ姿を映す 映す鏡は日出の海
海を見渡しゃ心も浮津 ここは竜宮かお城下
沖に見惚れりゃ日は暮れかかる 遠く霞むは四極山
日出と別府は棹差しゃ届く 橋をかけよか恋の橋
豊後富士さんちょいと出て招く 日出が見たいか恋しいか
殿は木の下わしゃお城下 月を待つ夜は気にかかる
殿の留守でも鰈はおじゃる 昔恋しいお城下
日出の名物ぁ城下鰈 殿も家来も舌鼓
鰈かわいやお城の下に 寝てて殿待つ果報者
日出の城下一度はおいで 釣りに網あげ鰈がり
浮いた鰈船浮かれたお客 海は浮津の城の下
恋の重荷を二人で乗せて 軽く浮かべた鰈船
新民謡「日出小唄」もあるようです。盆踊りにまつわる唄や言い伝えなど
ご一報をお願いします。
藤原・赤松地区に伝わる「いろはかるた」は日常生活を織り込んだもので、小さい頃から口ずさんでいたようです。若いころに住んでいた岩尾さんの記憶を頼りに 「48文字を!」 と考えて収集していますが今のところ次の5文字しか分かっていません。記録をお持ちの方、記憶のある方はいませんか?。情報をお待ちしています。
(いろはかるた)
イ 一番名高い 妙見寺
ロ 六百足らずの 人の数
ニ 日豊線は 赤松通る
へ への字への字の 台の道 *台(ダイ)は地名
フ 冬でもぬくい 平渕谷
*平渕谷(ヒラブチダニ)は地名(岩尾さんの地元)
会員の皆さんと情報交換ができる環境としてホームページを活用してください。
帰省した際のチョットした出来事や町の変化など、また旅の思い出などを情報の提供をお待ちしています。
上部の「お問合わせ」のメニューから連絡ができますのでよろしくお願いします。